プロフィール

フォトアルバム
スタッフ

この道に入って20年・・・。早いものです。

 カウンターがあるウチの店には、色々な方との出会いや話が聞けるという利点がありました。

 そしてこのブログでも色々な方とお話しできたら、と考えています。
 ぜひ書き込みお願いしますね。

 今夜もどんなお客様と出会えるか、楽しみです。

最近のトラックバック

もっとお店のブログを見る

2012年8月14日 (火)

福幸祭を終えて。

 

福幸祭が無事終わりました。

 

 

 

夕方、雨が降る予想だったのですが佐原地区には1滴の雨も降らず

 

(福島市内は一時期土砂降りになったそうですが・・・)

 

文字通り私達のお祭りに水を差すことなく大成功のうちに幕を閉じました。

 

 

 

今回、このお祭りに参加したのは

 

神奈川の太鼓チーム「暁」さんと、東京阿波踊りの「しらいし連」さん。

 

福島大学の災害ボランティアセンターの皆さん。

 

「目に見える支援プロジェクト」の皆さん。

 

そして佐原と森合の応急仮設住宅に住む方々

 

総勢180名のイベントでした。

 

 

 

今回のイベントの為に金曜日から福島入りをして、会場の設営をしてくれた「目に見える」のメンバーや福大のボランティアの人達。

 

前日から福島入りし、太鼓の演奏や阿波踊りで大いに盛り上げてくださった各メンバー達。

 

 

 

震災前。

 

あの福島市の山奥にこれだけの人達が駆け付けるだなんて誰が想像できたでしょうか。

 

本当に感謝の一言に尽きます。

 

 

 

「応急仮設住宅」。

 

それはあくまでも「応急」「仮設」であり

 

永く住めるものではありません。

 

 

 

今回初めて仮設住宅の現状を目の当たりにした人達の方が

 

私達毎月来ている人間よりもそれを強く感じたと思います。

 

 

 

震災直後の4月から7月まで調理師会での炊き出しを終え

 

9月から「目に見える支援プロジェクト」の一員として携わってきたこの活動も一年を迎えました。

 

 

 

「あの日」から早15カ月。

 

 

 

復興よりも復旧。

 

普通の生活を取り戻すため、そしてそれを継続して支援する為にも

 

私達ボランティアだけではなく、各報道機関の方々にも

 

「まだ震災は終わってはいない」「この現状に馴れてはいけない」「忘れてはいけない」

 

そう声高らかに伝えて頂きたい。そう思いました。

 

 

 

この日僕が報道各社の皆さんに、唯一お願いした事は

 

「子供たちの笑顔を撮ってください。」という事でした。

 

 

 

それが復旧・復興の力になると思ったからです。

 

 

 

これから30年もこのままだなんて考えたくありません。

 

私達の宝はこのままここに住ませてはいけないのです。

 

 

 

最後に

 

今回、目に見えない支援・ご協力を頂いた関係各社・個人、

 

全ての皆様にこの場を借りて御礼を申し上げたいと思います。

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

そして、二つの仮設に住む皆さん。

 

また来月お伺いします。

 

 

Image


もも

 

2012年8月12日 (日)

福幸祭当日

福幸祭当日

福幸祭当日

福幸祭当日

2012年8月 8日 (水)

【 福幸祭 】

 

今週末、

昨年の9月から炊き出しをやらせてもらっている場所の一つ、

 

「佐原応急仮設住宅」の敷地内で【 夏祭り 】をする事になっていますhappy01

Hukkousaipos

 

ここの仮設住宅に住む皆さんは子供達も多い中

慣れない場所、住みづらい環境の中で毎日を過ごしています。。。

 

もう一つの炊き出し場所「森合応急仮設住宅」の方々にも来てもらう事になっていますが、

 この二つの場所に住む方々は共に浪江町の方々です。

 

仮設での生活は

例えば「テレビのチャンネルを変えようとすると、隣の家のテレビチャンネルが変わってしまう」ような生活です。

 

一週間、そこに住み続ける事に疲れ、

週の半分を、まだ仮設に住む前の”避難所だった地域“に行ったりするそうですsad

 

  

今回の企画で

 少しでも気分転換になってくれればと思いますconfident

 

 

Fukkousai_pos2

なお、今回の企画は

一般の方々の入場をお断りする事にしました。

 

 

ではなぜこの企画を公表したかと言いますと

 

仮設に住む方々の生活を少しでも分かって頂ければと思ったからです。

 

 

色々なうわさ話を聞いたりもしますが

 

日々の生活がそうさせている一つの要因でもあると思うからです。

 

        ~ 復興よりも復旧 ~

誰かが言ってました。

でもこの日だけは【 心の福幸(復興) 】をup

 

あとは晴れる事を祈るばかり。。sun

 

  

自分達も楽しんでやろうと思います!happy02

 

もも

 

2012年8月 3日 (金)

わらじまつり

わらじまつり
今日と明日はわらじまつり!

2012年6月13日 (水)

避難区域でまた自殺。。

また自殺者が出てしまいました。

避難区域また自殺か 小高の男性、自宅で首つり

悔しいです。。。

以前にもあった自殺。

福島県外のニュースで取り上げられたかどうかはわかりませんが・・・。

仮設に住む人達が

ただ1年3か月過ごしてきた訳ではないと事は

私達被災地の人間でなくとも皆さん容易に想像出来るかと思います。

故郷を離れ

知人と分かれ

家族と引き離され

そんな中、慣れない土地でみんな生きてきました。

去年の4月。

調理師会で行った避難所、梁川体育館。

そこの担当だった南相馬市の職員さんはこう言いました。

「 3日も居れば帰れるものだと思っていました。 」

今年の9月。

初めて行った仮設住宅に住む自治会長さんは僕達にこう言いました。

「 ここでの生活は2年が限度だ・・・  それ以上は無理だ 」

先日の二本松市の事故だって、
避難者同士の事故でした

やり切れない想いに心がひしゃげてしまいそうです。。

こんな想いをしているのは僕だけではないと思います。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

福島市に住むわたし達も

未だ自宅の除染などは済んでいなく

行政による除染待ちです。

勝手に除染する事は有効では無いと言われています。

 ※個人個人が除染すると、逆に拡散してしまい効果が薄いと言われています。

 

そんな僕たち東北人・福島県民は

 

 『 原発事故の被害にあっているひとたちよりはまだ良い方だ。』と考えるのですが、

自分達で言うのもなんですが、

『 お人よしで我慢強いのかな? 』などと思ってしまいます。


 そう言えるのはいつのことか

『 震災はもう過去の事 』と言えるのはいつのことか


仮設に住む人達が

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。

被災三県のガレキのうち、

岩手と宮城のガレキに関しては

各都道府県知事さん達にお願いしたい。

              もっと迅速な対応を!

僕も子を持つ親として

福島のガレキには放射能が交ざっているのだから

心配なのは理解出来ます。

しかし、2県のガレキ処理は

「 我が身のこと 」と思っていただきたい。

普通に考えて

街中に ガレキがあったとしたなら

1年以上もそのままにはしておかないと思うんです。

ましてや同じ日本国土と考えたら

県境なんて無いのではないかと。

2県の仮設に住む人達が早く元の生活に戻れるように。

それを見た福島県民に希望を持たせてくれますように。

原発に汚された故郷の地や、川、海が

一日も早く元の綺麗な場所になりますように。

もう、辛い思いをさせずにすむように。

もう

自殺者なんて出ませんように

もも

2012年5月23日 (水)

三社祭

先日の日曜日。

娘の運動会を終えてから

新幹線で東京へ。bullettraindash

「あの」浅草三社祭に参加する為ですhappy01

今回は、家族そろっての上京。

不安もありましたが、参加したり、本物の御祭がどんなものかを

家族そろって体感しに出かけました。

土曜日まではスカイツリーも点灯せず、

いささか寂しかったと言う事でしたが、

三社祭最終日に合わせてか、なんと点灯!

なんとも粋な計らい。

一日早く堪能させて頂きました。

点灯するスカイツリーをバックに話しているのは

今一緒に炊き出しをしている「浅草の神様」ヒデちゃんです。

3

みんなから「ひでちゃん」「カシラ」と呼ばれているこの人がいないと

三社は始まらないのです。

その証拠写真がこれ

5

雷門のすぐ下。

「台風の目」とも言うべき神輿に乗り

高速三本締めを叩けるのはこの人のみ。

話を聞くと、この人のどちら側に立つのかでさえケンカの元になるそうな。

一の宮から始まり、二の宮

そしてこの三の宮で終わってしまう三社祭

2

浅草寺への参道を行くと

僕も今まで気が付かなかったのですが

【 浅草神社 】があります。

お寺と神社が同じ境内に共存しているのです。

その神社の蔵の中に御神輿をしまってお祭りはお終い。

名残り惜しそうに直らい会は

夜通し続きました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

僕は普段福島に居て、

東京の人間でも浅草の人間でもないのに

御神輿を担がせて頂きました。

一年前まで、その神輿に触る事ですら出来なかったのに。

東京修行時代だって、

どこか別次元の感覚でした。

今はこんなに近く感じる事が出来ます。

福島の復興。

東北の復興を祈りながら担ぎました。

右肩が打撲のようになって痛くなっても

ほんの数分担いだだけで汗だくになっても

心が晴れたと言うか

心地の良い疲れだけが残りました。

4_2

こんなに凄い人達と出逢えて

共に仮設住宅への炊き出しが出来る事を

ほんの少し「不思議」に思っています。

今週末の27日。

炊き出しをします。

去年の4月10日から始めた炊き出しが

仲間や姿を変え、

一年以上も続けられている事。

やらせて頂いている事。

  とても感謝しています。

130名の人達が

「まだ忘れられていない」と感じて頂けるように。

素晴らしき仲間と共に行ってきたいと思っています。

もも

2012年4月 6日 (金)

「 最後に伝えたかったこと 」

Photo

瀧本 光静さんが出版した
「最後に伝えたかったこと 
~故人に伝えたい47のメッセージ~」の中のひとつです。

気仙沼で発見された携帯に残された最後のメールだそうです。

あの日、あの時、

こんな経験をしながら過ごしていた。

そして今も

残された人達がいるのです。

もも

 

2012年3月11日 (日)

鎮魂雪。


あの日も雪が降ってきた。

毎年、この日は降るのだろう。


携帯ブログ

もも

忘れない。


忘れたい三月十一日。

忘れてはいけない三月十一日。

決して忘れない三月十一日。


あんなに不安な夜は無かった。

あんなに星が綺麗な夜は無かった。

あんなに人との繋がりを感じた日々も無かった。


腹の奥底にある不安を押し殺しながら過ごした日々。

何処へ逃げる。
何処へ行ける。

連れて逃げるにもガソリンが無かった。

自分の無力さを感じた日々。


あの時こうしてれば良かった

これで良かったのか

未だに答えなど見つかる訳がない。

避難勧告を出してくれたなら…

スピーディの結果を潤滑に報告してくれたなら…

人のせいにするのはやめよう。

前を向いて歩こう。

ただ、

今日という一日は忘れない。


二万人の犠牲と

約四十万の避難者と一緒に歩んだ一年。


今日は
頑張ることを忘れて

ゆっくり過ごそう。


亡くなった方々に黙祷を。

避難している方々に暖かいことばを。


もも

味乃桃の井 のサービス一覧

味乃桃の井
  • TEL050-3463-9289