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この道に入って20年・・・。早いものです。

 カウンターがあるウチの店には、色々な方との出会いや話が聞けるという利点がありました。

 そしてこのブログでも色々な方とお話しできたら、と考えています。
 ぜひ書き込みお願いしますね。

 今夜もどんなお客様と出会えるか、楽しみです。

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2011年7月

2011年7月25日 (月)

閉鎖。~鳴かない蝉~


24日も炊き出しに行ってきました。


大工を生業としているお父さんとも
久しぶりに逢う事が出来、
話をしてきました。


今、炊き出しに行っている避難所は
南相馬市からの避難している方々が多く、

南相馬市は今月(7月)いっぱいで避難所を閉鎖し

①南相馬市へ戻る
②2時避難所(ホテル・仮設住宅など)への移住。

を求めています。

7月8日付けで出された広報で
避難されている方々皆、戸惑っているというのが
僕の感じたところでした。


。。。。。。。。

いつかは離れなくてはいけない。

いつかは自立しなくてはいけない。


それは分かっていますが

今避難していている方々の多くは
『家が無い』『家があっても(放射能で)戻れない』と言う人が多いのです。


各種報道などでは

『 仮設があっても入らない 』的な
ある種”わがまま”みたいな報道がなされる場合がありますが

一人ひとりに別々の事情があります。

。。。。。。。。。。。。。

運よく仮設住宅に入れても

足が悪く車いすの生活をしている方には

玄関までの砂利道を一人で通る事は出来ません。


仮設の中でも入口から近い場所と遠い場所あるのです。


。。。。。。。。。。。。。

今回、伊達市の避難所に行く前に
「あづま総合体育館」に行ってきました。

8月以降の避難について聞きたかったからです。


福島市の避難所の中では一番大きな施設で
今なお450名ほどの方々が暮らしています。

担当してくれたSさんと話をしましたが
県からの指示はまだ来ていないと言う事で
”未定”と言われました。

8月を過ぎてもどうなるか分からないと言うのが実情のようです。

。。。。。。。。。。。。

あづまの駐車場に車を止め
体育館まで歩いている時、

カンカン照りの中
蝉が鳴いていました。


今年初めて聞く鳴き声でした。


7月も後半となり
いつもならウルサイほどの鳴き声を聞かされている時期ですが

今年は
蝉の鳴き声が”全く”と言っていいほど聞けません。


地震のせいなのか

放射能の影響なのか解かりませんが

何かが狂ってしまったのでしょう。

蝉の鳴き声が聞けないのが
福島市だけでない事を祈りたいと思います。


立秋まであと2週間。

雪の降っていたあの日から

また季節が変わろうとしています。

もも

  ~ 追記 ~

蝉の鳴き声についてですが

ある方から情報をいただきました。

今年の蝉が鳴かないのは

今年の春は気温が低かったので
”幼虫の成長が遅れているから”と言う事でした。

福島に限らず
全国的に鳴き声が聞かれなくて
騒がれていたと言う事でした。

もう少し待てば
元気に鳴き始めるとの事で

僕もホッといたしました(;´Д`)=3


以上ご報告まで


お騒がせいたしました(^^ゞ


2011年7月22日 (金)

苦渋の決断。

6月24日。


炊き出しメンバーを一同に会して

『 今後の炊き出し 』について話し合いました。

4月10日から始まった炊き出し。

”福島県綜合調理師会有志の会”として
みんなの力を結束して続けてきました。

毎週日曜日のその時間と言うのは

いつからか「楽しみ」に変わり、
避難している方々とのつながりが
心地良くもなっていたのです。


しかし、


綜合調理師会を3班に分け
続けていましたが


その3班のリーダーやスタッフの人的苦労、

   そしてご家族の御苦労がありました。


それでなくても
普段から家族との時間が取れない飲食業なのに

週一日の
”唯一のふれあいの時間”が
割かれ続けていたのも事実でした。

苦渋の決断。


この日話し合いによって決まったのは


        7月31日での炊き出し終了。


17週間に及ぶ炊き出しと

炊き出し募金の終了が決まりました。


。。。。。。。。。。。


最初に行っていた「梁川体育館」は
6月をもって避難所としての役割を終え
通常の業務に戻り、


7月からは
同じ伊達市にある「ふれあいセンター」で炊き出しをしてきました。

福島県は
今ある避難所を8月をもって解散すると発表しました。


あと1ヵ月。


残された避難者の方々が
一人も残る事無く
仮設住宅や借り上げたアパートなどに移られる事を切に願います。

。。。。。。。。。。。。。。

福島や東北の復興は未だ持って見えませんし、

地震や津波が何時また起こるかもしれません。


そうしたら、
また炊き出しが必要になるかもしれません。


その時は
今まで数か月やってきた経験が役に立つと思います。

もちろん
炊き出しなど必要ないのがベストですし、

長期に及ぶ炊き出しが必要な状況など
無い方が良いのです。

どこの政党だとか
だれが首相だと嫌だとかではなく

迅速丁寧な政策を切に願います。

。。。。。。。。。。。

これまで炊き出し募金に参加してくださった方々には
大変失礼ではありますが
この場を借りて感謝申し上げたいと思います。


調理師会全ての人間が感謝をしてますし

実際、
炊き出しで温かいご飯を食べられてた方々も同様であると思います。

   『 誠にありがとうございました。』

手元に残るお金に関しては
今回の震災で被害を負った人に

一番有効だと思われる使い方をしたいと思います。

残る24日と31日の炊き出し。


精一杯頑張りたいと思います。

もも

2011年7月13日 (水)

RFCラジオ福島 ~あの時の実況とその後~

はじめに

   ~ 地震や津波の被害に遭った方々へ ~

今回のブログは
3月11日当時の状況を思い起こす内容となっています。

気分を害してしまうかもわかりません。


ので、
そう思われる方はリンクしないようにお願い致します。

ご覧になる方は

”まだ東日本大震災は終わっていないのだ”と言う事を
全国の皆様に理解していただきたい
という主旨
でアップいたしますので


御理解していただいたうえで
ご覧ください。

。。。。。。。。。。。

  youtubeで

あの日あの時のラジオ福島さんの実況が流れていました。


約20分ほどあります。

深野アナウンサーの
落ち着いた実況の後ろで聞こえてくる

様々な物が崩れ落ちていく音


地震発生から10分ほど経っていても
まだまだ揺れが収まらない状況が良く分かります。


時間がある時に聞いて頂き、

ゆっくりと
あの時の状況を思い出して頂ければと思います。


地震の後、

ラジオ福島全てのアナウンサーさん達は

不眠不休24時間体制で放送を続けられていました。


僕もその放送を車で聞いていたのですが

   『 近くの人と声を掛け合ってください 』

と何度も繰り返し言っていたのを覚えています。

こんな素晴らしい緊急地震放送があるのかと
余震が続く恐ろしい状況の中聞いていました。

『 ラジオ福島があって良かった 』と思った瞬間でもありました。


。。。。。。。。。。。


あの日から4か月が過ぎ、


民放テレビ各局でも
日ごとに東日本大震災が取り上げられなくなってきた事。

凄く残念に思います。

被災地以外のところでは
日常を取り戻せ始めているかと思いますが


もう一度
防災意識を取り戻して頂きたい。


津波の被害に遭った地域やその方々には辛い映像かも知れませんが

津波を知らない僕も含めて
”津波のスピードはこれほど早いものだ”と
再認識をして頂いたうえで防災意識を高めたいと思います。


こんな映像をリンクして

『 不謹慎だ 』とお叱りを受けるかもしれませんが、


余震の続く今の現状は
未だ
このような事がまだ起こりうる状況なのだと。


各テレビ局の皆さんや各報道の方々にも
被害や避難が続いている現状を理解していただき
もう一度報道に対する意識を高めて頂きたい。


そして

『被害を最小限にとどめたい』

その想いだけでアップしたいと思います。

もも

2011年7月11日 (月)

4ヶ月と梅雨明け。

あの日から4ヶ月が経ちました。

もうダメかと思った長い長い地震。

広がった被害。

終息を見せない人災。


打ち消そうとしても消せない
子供達への不安。


放射能が見えていたとしたなら
対応も違うのでしょうね、きっと。


見えない不安の中で想う事。

子供達だけは”モルモット”にしたくない。

。。。。。。。。。

水素爆発をおこしたあの日から


  「福島」は「フクシマ」になってしまいました。


多くの人達を癒してきた「いで湯」も

美味しい果物や新鮮な野菜も

全国に自慢できる魚介類も

その人柄の素朴さや土地柄を
『本当の空がある』と詠った和歌でさえも


風評被害で
どこか遠くまで吹き飛んでしまった感じがします。

復興支援をする人達でさえ
放射能について
その恐怖感を隠そうとはしません。


。。。。。。。。。。。。

東北地方は今日

梅雨明けをしました。


盆地の福島市は

これから蒸し風呂のような暑さが続きます。

『効果は無い』と言われても
マスクをしミネラルウォーターを買い

校庭で遊べないプールに入れない


そんな生活を
福島の子らは続けています。

「梅雨明け」と一緒に
”放射能明け”したいと切に願う。

元通りの福島に


”フクシマ”を「福島」にするために

私達大人は踏み台になろう。


住みやすく安心安全な福島を

子供達に繋げる為に。


もも

2011年7月 9日 (土)

復興の向こう側。


津波の被災地である相馬から
炊き出し場所の伊達市に移動した私達。


今回の炊き出しのメインは
渡邉会長らが上野から持参してくれた
美味しいお肉shine

僕達調理師から見ても
とんでもなく美味しいお肉lovely

避難していらっしゃる方々も

『 こんな美味しいお肉食べた事無いわぁ~lovelyupupupshine 』と大喜び。


6月30日をもって
今まで行っていた梁川体育館は閉鎖。


今回からは別な場所です。


なれない施設での炊き出しでしたが

炊きたてのご飯や
美味しいお料理に

皆さん喜んでいただけたようですhappy02

。。。。。。。。。。。。


津波の被災地での話。


相馬市へお連れした睦会さん達に

僕がお願いしたのは



『 語りべ 』として

今の現状をいろんな方々へお話をしていただく事。


決して「行ってきた」的な自慢話では無く

【 まだ何も終わってなどいないのだ 】と話して頂く事。


今の現状を伝え
きちんと伝わったとしたなら


『 知恵を出さなきゃ何もしない 』などとは言えないはずなのです。

被災した東北3県にある大量のがれき



  その撤去率は
     未だ35%。

日本国民が
一つの旗印に向かって力をあわせ

精一杯の努力をしなければいけない時。


その努力が報われるのには
折れない気力と支え合う努力、
そして長い時間が掛かる事でしょう。


それでも今のままでは居られない。


その努力の先を
みんなで見たい。


。。。。。。。。。。。。。


今回、
睦会さん達が合同で
炊き出しをしてくださった事。


それは


≪ 清水調理師会会長 と 渡邉睦会会長 ≫

今困っている方々を

現地で助け合う事。

それ以上でもそれ以下でもありません。

こうして同じ志を持ち

同じ方向を向き


見返りなど求めていない僕達が

唯一求めるのは

炊き出しが終わるその時に

『 やって良かったcute 』と言いあいながら

美味しいお酒を呑める事beer


精一杯やらないと決して味わえない

至高の味をみんなで

参加した皆さんで
”乾杯する瞬間”を夢見ています。


もも


2011年7月 8日 (金)

睦会さんと相馬へ。②

トンネルの先は


無くなっていたのです。

この時に見た
太平洋と松川浦を分けていた
どこまでも続く海道は


無残にも津波で破壊されて
無くなっていました。。。



外海と内海を分けていたはずの変わり果てた海道。


道の右側には
あるはずの無い白波が見えました。

何度も来た事のある場所。

何度も見た事のある風景のはずですが・・・


ここが何処なのか
一瞬忘れてしまい



どこか別な場所にいるかのようです。


睦の皆さんと
灯台へと続く階段を登ってみました。



アルミで出来た手すりが拉げています。


この高さまで津波が来た事を
言わずもがな示しています。


曲がった手すりの高さのところで
カメラを固定し
撮影しました。


この高さまで海水面が上がり
この周辺一帯は海と化した。

想像が出来ません。

僕が震災後、
初めてここに来たのは6月。


”ここに来る勇気”が出るまで
3カ月掛かりました。

道にあった瓦礫は撤去されて
車が通れるようになりましたが




4か月経った今でも
相馬市は変わっていません。


多分、
岩手県や宮城県でも
同じような光景が続いているのでしょう。


あれだけ大きく
長かった地震。


その後に鳴り響いた津波警報。

逃げまどう人達が
確かにここに居た。


       絶句です。


。。。。。。。。。。。。


睦の皆さんが現場を視察している間に



難を逃れた一匹の猫が
お腹を空かせて近寄ってきました。


飼い猫だったのでしょう。


お菓子をあげると
ムシャムシャと食べました。


引き上げようと車に乗り込んでも
いつまでもそばに居ようとしました。


飼い主は居るのか

   いないのか。


それを口に出さずに


僕達は本来の目的地

炊き出しの場所へと
車を走らせました。


soon


もも


2011年7月 7日 (木)

睦会さんと相馬へ①

昨日の余韻beerbeerbeerを残したまま


睦会さん達が泊ったホテルの
チェックアウトを待って

11時ごろ福島市を出発しました。rvcarrvcardash

   目的地は『 相馬市 』。

毎年、子供達を連れて遊びに行ったあの砂浜です。


東京の方々が
本当の意味での被災地を見て

どのような想いを抱くのか。


このどこまでも真っ直ぐ伸びた海道が

どうなってしまったのか。

以前に
個人的に相馬へと行った時の画像と共に

進めていきます。


。。。。。。。。。。。



国道115号線。


この道は
「下小国」と呼ばれる避難地域を通ります。

放射能の線量が他の地域よりも高く
”ホットスポット”などと呼ばれています。


しかし、ご覧の通り
放射能は”見えません”。

ただただキレイな景色が続くだけです。

車は

福島市 → 伊達市 を抜け、

相馬市に入ります。



相馬市内には
地震によって崩れ落ちてしまった家が
そのままになっている地域が多くあります。

国道6号線を越え
もう少し車を走らせると
バイパスに出ます。



この釣具店が見えてくると

”その爪痕”が近づいてきます。

写真はクリックすると大きくなります。



街の中に船。



このローソンの一階部分は
津波によって流され営業が出来なくなっていました。
(先日、ようやく営業再開する事が出来た様でした)


道のすぐそばに大きな漁船。


車中に零れるのは
ため息のみ。

津波の威力に
ただただ言葉を失います。



去年、相馬に来た時には
集落があった場所。


今は「何も無い」。

津波で流されたトラックや船以外
本当に何も無いのです。



海でバーベキューなどをする時に来た
「スーパーシシド」さんが見えてきました。



今では倉庫を含め
「骨組みだけ」に。



すぐ傍にあるガソリンスタンドも

津波で根元から折れて
流されてきた電柱などによって
姿を変えていました。


目の前が第一堤防だと言う事を示す標識も
途中で折れ曲がり


コンクリートでキレイに整地されていた場所も
無残な姿をさらしていました。


建物を見ると
2階部分まで津波が来た事がうかがえます。


この先左手にあるのは
”海水浴場”があった場所。

【 架からない虹 】と言うブログで紹介した海水浴場です。

がしかし・・・



今は瓦礫に荒らされたままでした。


奥に見える青い建物は
シャワー・トイレの施設

なにかがおかしい



近づいてみて
ようやく理解しました。



【 相馬大橋 】

今回の津波は
車道の一番上まで来たそうです。


相馬大橋を越えると
灯台がある小さな岬があり



そこにはトンネルがあります。


そのトンネルを抜けると

冒頭で紹介した海道。

一本道が見えてくるはずでした。

soon


もも

2011年7月 6日 (水)

睦会さんとコラボ炊き出し。前夜祭


5月の末に

酒屋の橘内さんと共にお邪魔した
上野復興イベント。

そこでお会いする事ができた

【 上野6丁目睦会 】さん達が2週にわたって来福。


綜合調理師会の炊き出しに参加してくれました。


。。。。。。。。。。。。


7月2日
炊き出し前日の土曜日。


皆さんが来福すると言う事で
我が綜合調理師会の面々は

『 どんな人たちなのだろう??? 』と興味津津。。。

私達上層部の人間達がお出迎えさせてもらいました。


とはいえ土曜日ですので
早めに仕事を終わらせてからの10時過ぎclock

とある居酒屋で双方の顔合わせ。

互いに名刺交換などをしながらご挨拶confidentconfident


今までの活動報告と、
炊き出しについて軽く打ち合わせをしました。


睦の大河原一郎幹事長と僕は

一郎さん&もも 『 いつ仕掛けます?(* ̄ー ̄*)ニヤリッ 』

と、
二人で”悪い顔”してタクランデいました(笑)。


とりあえずお酒を呑んで
仲良くなる為の儀式(笑)をと考えていたのです。

12時近くになってclock
綜合調理師会のみんなも集まったので・・・

一郎さん&もも『 みんなで自己紹介しましょうsign01happy01up 』

睦会のメンバーの”自己紹介”。

渡邉会長さんから始まったのですが

とりあえずイッキbeershine


もちろん掛け声はあの


『 さー さー!さー!!さー!!
      セイヤッ!! ソーリャ!! セイヤッ!! ソーリャ!!
      セイヤッ!! ソーリャ!! セイヤッ!! ソーリャ!! セイヤッ!! ・・・』

ですlovely


この掛け声って
思わず呑んじゃうんですcatfaceheart02

”自己紹介”なのに
『自分の名前を言わなかった!』と言ってもう一杯beer


『ビールのアワ”が残ってる!』と言ってもう一杯beer


ビールじゃ物足りなく(?)なってきて
日本酒を1升瓶で頼んでイッキsweat01

そういえば
綜合調理師会の自己紹介ってしましたっけ?(笑)

午前1時の閉店時刻をかるーく越えて
2時過ぎに御開き。


  『 震災以降、こんなに楽しく呑んだのは初めて 』

と、ウチの清水会長が言った通り
みんな楽しく盛り上がりました。

ウチの会計本部長は
酔いつぶれちゃいましたsweat01(苦笑)

珍しいというか
初めて見たなーsweat01sweat01sweat01

。。。。。。。。。。。。

本来の目的は明日の炊き出し。

炊き出し開始時刻は夕方からなので


上野の人達を
今回の津波の被災に遭ってしまった相馬市へ
お連れしようと考えていました。


     どれほどの津波が押し寄せていたのか


次回のブログで
数週間前に個人的に行った時の写真と共に

ご紹介したいと思います。

もも

2011年7月 4日 (月)

押し売り。

お客様


”お客”?

いや、

”押し売り”だろう。

お客様と押し売りの違いは

次、
また来て欲しいかどうかだと思う。


被災地がドコかもわからん奴。

知事がどれだけ忙しいのかわからん奴。

自分が一番偉くて忙しいと勘違いしている奴。

そんな奴が”復興担当相”?

二度と来て欲しくは無い。

そんな奴に時間を割くほど
私達はヒマではない。


二度と来るな。

もも

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